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TEL 0558-22-0960
宝福寺の歴史
●永禄2年(1559年)11月、織田信長の圧迫をのがれた、本願寺 第11代顕如 並に法孫釈了善、真言を改め開基しました。
●文久3年(1863年)1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に勝海舟が来山し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い許されます。当日、龍馬は町の旅館にあって、その朗報を待っていました。
●嘉永7年(1854年)日米和親交渉にあたり、日本全権の本陣となり、下田奉行所が置かれました。
●唐人お吉菩提寺、お吉記念館(西ドイツ、英国に博物館として登録されています)
●慶応元年(1865年)韮山代官 江川太郎左衛門英武の本陣、農兵調練所趾です。
●明治に入り、宮城の修復のため寺有地の大半を売却して協力しました。菊の紋章の仕様を許され、また第1回徴兵検査場として使用されたり、賀茂郡役所として利用されてきました。
●第二次大戦では、梵鐘の類は徴収され潰されています。
宝福寺は坂本龍馬と唐人お吉にゆかりある寺院として、さまざまな資料を展示しております。
参拝にお越しの際はぜひご覧になり、歴史の風を感じてみてください。

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